子どもがゲームばかりしていると、
「このままで大丈夫なのかな」と不安になること、ありませんか?
時間を決めても、ついオーバーしてしまったり。
声をかけると、機嫌が悪くなってしまったり。
「やめさせた方がいいのかな」
「このままで本当にいいのかな」
私自身も、そんなふうに悩んだことがありました。
実際に、ゲームとの関わり方によっては、
少し心配になるような場面を見たこともあります。
だからこそ、簡単に「大丈夫」と言い切ることはできない。
そう感じているのも正直なところです。
ただその一方で、
子どもと一緒にゲームをする中で、
少しずつ見え方が変わってきたのも事実でした。
ゲームは本当に悪いものなのか。
それとも、関わり方によって変わるものなのか。
今回は、そんなふうに考えるようになったきっかけと、
我が家なりの関わり方についてまとめてみます
遊びと勉強は本当に別物?

学校=勉強、ゲーム=遊びって分けがちですよね。
でも実際は境界があいまいです。
タブレットは1日1時間!
でも、タブレットで勉強もするわけで。
学習ゲームもなかなか質が良い。やるとやるほど文字も計算も早くなる。
おけでもタブレットは1時間だから、やらせない?
勉強だから好きなだけやらせる?
進研ゼミですら、Switchソフトを使用しています。
さらに言うと、画面を使わない、ボードゲーム系。
こちらはトータスという計算ゲーム。
足し算×神経衰弱ゲームです。


これは遊び、だけど勉強にもなる。
やるとやるだけ計算が早くなる。
計算といえば、ポケモンカードゲーム。
これはわかる、遊び、と思いきや、
これも計算ができないと遊べません。
引き算、足し算、掛け算、この場合はこうする、と言った複雑な指示も。
やるとやるほど計算に強くなります。
さあ、遊びと勉強が曖昧になってまいりました。
ホモ・ルーデンスという考え方
「ホモ・ルーデンス」という言葉を聞いたことはありますか?
高校で倫理を選択をした人は、覚えている方もいるかもしれません。
オランダの歴史家、ヨハン・ホイジンガが「文化は理性(サピエンス)や労働(ファーベル)ではなく、遊びに(ルーデンス)から生まれた」と説いたんですな。
つまりは、人間を“遊ぶ存在”として捉えたんです。
ちょっと難しそうに聞こえるけど、身近なことで考えるとイメージしやすいです。


たとえば子どもって、誰に言われたわけでもないのに
鬼ごっこをしたり、ごっこ遊びをしたり、ルールを作って遊びますよね。
実はこれ、ただの遊びのようでいて、
・ルールを理解する
・試してみて、うまくいかなかったら変える
・相手の動きを見て考える
そんな力を自然と使っています。
勉強っぽくはないけれど、やっていることはかなり“学び”に近い。
そうやって遊びながら学んでいくのです。
この考え方に出会ったとき、女子高生だった私は
「遊びと勉強って、別々のものじゃないのかもしれないな」と感じて、将来子育てをするときはいっぱい遊びながら学んでもらおうと決意したわけです。
そして今は、ゲームもその延長線にあるんじゃないか、と思っています。
ゲームの中で子どもは何を学んでいるか
一度一緒にゲームをやった事のある親は気づいたこともあるかもしれません。
ゲームって難しい。着いていけない。
ソレもそのはず、いろんな要素が必要な高度なものなんです。むしろ義務教育までのテストの方が簡単までもあります。
- 試行錯誤
- ルール理解
- 問題解決
- コミュニケーション
これが複雑に絡み合ってるんですよね。
例えば今流行りのぽこあポケモン。


試行錯誤をしながらこの世界のルールをみつけて攻略していきます。
どうやったら生息地が作れるのか、判定は何マスか、水は何マスまで流れるか、このブロックにしかこのアイテムはつけれない、ならばこの方法ならそのシステムの穴がつけるのではないか。こういう形状のものを作るにはどうしたら良いのか。



ぱっと見はただ、のほほんとモニターの前に座ってるだけですが、頭の中はフル回転です。
例えばロブロックス。


ゲーム好きの中でもロブロックスは賛否両論ですが、
中でも人気ゲームの99 Nights in the forest(森で99の夜)というサバイバルホラーゲーム。
予測、計画、戦略、コミュニケーションが育つゲームとなります。
内容は、限られた資源で、怪物やカルト集団が襲ってくる中、どう生き延びるか、というゲームです。
食料係、道具の調達係、探索救出係。



独りよがりでは生き延びれないため、コミュニケーションをとりながら、自分の役割を見つけ、気づいたことを報告し、チームで生き残っていく姿を見ていると、学校では学べない大事な社会能力を学んでいるように見えるのです。
因みにこのロブロックスで遊べるゲームは素人が作るゲームです。
だから質が悪いとかパクリゲームとかも言われますが、そういうのじゃなくて、子供にもゲーム開発を体験させることができる利点があります。





子供と開発会議を開いて、実際にゲームを開発し、公開していくのはかなり良い体験ですよ。さらに学校のお友達にもプレイしてもらうのは格別に楽しいです。
それでも心配になる理由
実は、うまくいっているケースだけでなく、
少し心配になるような場面を見ることもあります。
たとえば、ゲーム以外に興味が持てなくなっていたり、
少しのきっかけで癇癪につながってしまったり。
もうご飯の時間だよ!と言ってもあとちょっと、と言って30分追加で遊んでいたり、もっと注意すると癇癪を起こしたり。
「どう関わればいいんだろう」と感じることもありました。
だからこそ、ゲームそのものの良し悪しではなく、
“どういう関わり方になっているか”が大事なんだと思うようになりました。


実際に子どもたちの様子を見ていると、
同じ“ゲーム”でも、関わり方によってかなり印象が変わると感じています。
あるときは、ゲーム以外のことにあまり興味が持てなくなっていたり、
少しのことで気持ちの切り替えが難しくなってしまったり。
「これはゲームの影響なのかな?」と考えたこともありました。
でも同時に、別の場面では
ゲームをきっかけに会話が増えたり、工夫したり、
楽しみながら学んでいる姿も見てきました。
だからこそ思うのは、
ゲームそのものが良い・悪いというよりも、
“どんな位置づけになっているか”で変わるのかもしれないということです。
そしてこれはきっと、特別な話ではなくて、
どの家庭でも起こりうることなんじゃないかな、と感じています。
親としてどう向き合う?


では、親としてはどう関わればいいのでしょうか。
正直に言うと、「これが正解」というものはないと思っています。
ただ、実際に子どもと一緒に過ごす中で、
これは大事かもしれないと感じていることがいくつかあります。
ゲームを一方的に制限するだけにしないこと。
もちろん時間のルールは必要ですが、
「ダメ」「やめなさい」だけだと、どうしても対立になりやすい。



一方的に何時から何時、と決めるのではなく、子供の声を聞いて何時からゲーム(タブレット)の時間をしたいのかを聞きました。
我が家の場合だと、お友達と遊びたいので、16時から18時が希望時間でした。
ただ、18時からご飯であり、19時半からお風呂、20時半に就寝となるため、宿題の時間を食後に持っていくことができません。
なので、帰宅から宿題が終わり次第〜18時。
18時まだ終われない場合は、理由とどれぐらい終了までにかかるか聞いて、その時間にしっかり終わるようにしてもらってます。
この延長の話し合いが行われることで、我が家はゲーム中断の癇癪を回避できるようになりました。
ゲームの会話をする


さらに言うと、「何をしているのか」を知ったり、
ときには一緒に遊んでみたりすると、
子どもがどんなことを感じているのかが少し見えてきます。
ロブロックスでも、「今日はどんなゲームしてるの?」と聞くと、どう言うシチュエーションで、何をするゲームで、何をすると勝ちか、と教えてくれます。
私も夫もゲーム否定派でないことを知っているので、仲間として、プレーヤーとして教えてくれるのです。
何気ないやりとりですが、子供は出来事をまとめて要点を伝えるという勉強ができちゃってます。
ゲームを実際に一緒にやってみると、
「これ、意外と考えてるな…」と思う場面も多くて、
見え方が変わることもありました。
ゲーム以外の時間もちゃんと満たしておくこと
外で遊ぶ時間や、家族で話す時間、
ちょっとした楽しいことがあるだけでも、
ゲームだけに偏りすぎることは減っていくように感じています。
ゲームを減らすことよりも、
「他にも楽しいことがある状態」を作る方が、
自然とバランスが取れていくのかもしれません。



ゲームはゲームという分野ではなく、トランプ、縄跳び、お絵描き、そんな道具の一つです。


他にも楽しいことがある状態にします。ゲームの時間になったから、我慢してた分だけゲームに熱狂する、そこに逃げ込むのではなく、遊び時間で、手に取る遊具の一つ、という位置付けです。
子供を見ていて思ったのは、ゲームがしたいんじゃなくて、一緒に楽しく遊べるものが欲しいんだな、ということ。
ゲームを1人で遊ぶというより、親と一緒に楽しく遊ぶ方が嬉しそうだったんです。
遊ぶ相手がいない→コンピューターや他のプレイヤーのいるゲームで遊ぶ。
そんな関係のように見えたんですね。
敵ではない
そして最後に思うのは、
ゲームを「敵」にしないこと。


どうしても不安になると、
切り離そう、遠ざけようとしがちですが、
完全に無くすことは難しいものでもあります。
だったら、無理に排除するよりも、
どう付き合うかを一緒に考えていく。
その方が、長い目で見たときに
子ども自身の力にもつながるのかな、と感じています。
まとめ
子どもとゲームの関わり方に、
「これが正解」というものは、きっとないのだと思います。
うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。
その繰り返しの中で、少しずつ形ができていくものなのかもしれません。
私自身も、まだ試行錯誤の途中です。
ただひとつ言えるのは、
ゲームを「悪いもの」と決めつけて遠ざけるよりも、
子どもと一緒に向き合っていく方が、
結果的にいい関係につながっていると感じています。
「ゲーム=悪」ではなくて、
「どう関わるか」で意味が変わる。
そのゲーム、その子の育成にとって大事なことを教えてくれる存在かもしれない。
もし今、同じように悩んでいる方がいたら、
ほんの少しでもヒントになればうれしいです。

